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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)14727号 判決

原告

野々村滋

原告

株式会社美濃忠

右代表者代表取締役

野々村滋

原告ら訴訟代理人弁護士

内山成樹

後藤孝典

山口紀洋

安田好弘

大津卓滋

尾嵜裕

三木正俊

被告

廣瀬國夫

被告

株式会社井上興業

右代表者代表取締役

井上一郎

被告ら訴訟代理人弁護士

三善勝哉

主文

被告らは、原告野々村滋に対し、各自三二三万一〇二一円及びうち二七四万二一八四円については昭和六一年一月二九日から、うち一八万八八三七円については昭和五五年六月二八日から、うち三〇万円については昭和六一年二月五日から、各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告らは、原告株式会社美濃忠に対し、各自一二八四万二四四五円及びうち四一三万八五二四円については昭和五六年一月一日から、うち一二四万三八四八円については同年三月一日から、うち六一万九一五〇円については同年四月一日から、うち二八一万二八〇七円については同年一〇月一日から、うち一八万六四一〇円については昭和五七年一月一日から、うち六四万八〇〇〇円については昭和五八年一月一日から、うち六四万八〇〇〇円については昭和五九年一月一日から、うち六四万八〇〇〇円については昭和六〇年一月一日から、うち一五万〇九〇三円については同年四月一日から、うち四九万七〇九五円については昭和六一年一月一日から、うち四万九七〇八円については同年二月末日から、うち一二〇万円については同年二月五日から、各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、これを一〇分し、その三を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

この判決は、第一項及び第二項につき、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者双方の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告野々村滋(以下「原告野々村」という。)に対し、各自二四九七万九三七〇円及びうち二〇七九万一〇八〇円については昭和六一年一月二九日から、うち一九八万八二九〇円については昭和五五年六月二八日から、うち二二〇万円については昭和六一年二月五日から、各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告株式会社美濃忠(以下「原告会社」という。)に対し、各自三三三〇万二〇一三円及びうち七六六万三九三四円については昭和五六年一月一日から、うち二三〇万三四二四円については同年三月一日から、うち一一四万六五七五円については同年四月一日から、うち五二〇万八九〇四円については同年一〇月一日から、うち八六万三〇一三円については昭和五七年一月一日から、うち三〇〇万円については昭和五八年一月一日から、うち三〇〇万円については昭和五九年一月一日から、うち三〇〇万円については昭和六〇年一月一日から、うち六九万八六三〇円については同年四月一日から、うち三一〇万六八四九円については昭和六一年一月一日から、うち三一万〇六八四円については同年二月末日から、うち三〇〇万円については同年二月五日から、各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  第一、二項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五五年六月二七日午後一時三〇分ころ

(二) 場所 千葉県市原市岩崎西一丁目七番二号先交差点(以下「本件交差点」あるいは「本件事故現場」という。)

(三) 加害車 普通貨物自動車(千葉一一あ五一一七)

(四) 右運転者 被告廣瀬國夫(以下「被告廣瀬」という。)

(五) 被害車 普通乗用自動車(千葉三三す二五九五)

(六) 右運転者 高野蕃(以下「高野」という。)

(七) 事故の態様 被害車が本件交差点に進入したところ、被害車の右方から加害車が本件交差点に進入して、被害車に衝突した(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

(一) 株式会社井上興業(以下「被告会社」という。)は、加害車を所有し、これを自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条により、原告らの後記損害を賠償する責任がある。

(二) 被告廣瀬は、本件交差点の手前の一時停止標識に気づかず、指定最高速度である時速四〇キロメートルをはるかに超える時速約七〇キロメートルの速度で本件交差点に進入した過失があるので、民法七〇九条により、原告らの後記損害を賠償する責任がある。

3  原告野々村の受傷状況

原告野々村は、本件事故により右大腿骨骨折の傷害を負い、五井病院に昭和五五年六月二七日から同月三〇日まで入院し、国立千葉病院に同日から同年九月一二日まで入院し、同月一三日から昭和五六年九月一六日まで通院し(実日数九日)、甘東治療院に昭和五五年一〇月一三日から昭和五六年九月二六日まで通院し(実日数八〇日)治療を受けたが完治せず、股関節に機能障害を生じて、あぐら、正座、しやがみ込み等の動作が不可能となり、右下肢全体に感覚異常をきたしたので、更に治療を継続したものの、昭和六〇年三月二七日症状固定し、右下肢三センチメートル短縮の後遺障害が残り、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一〇級八号該当の認定を受けた。

4  損害

原告らは、以下のとおりの損害を被つた。

(一) 原告野々村の損害

(1) 治療費 一〇七万六〇八〇円

前記治療のため右金額を要した。

(2) 看護料 家政婦 七七万二六八〇円 近親者付添二日分 六〇〇〇円

前記入院中右の付添を要した。

(3) 寝具代 二万六四八〇円

前記入院期間中のものである。

(4) 入院雑費 七万八〇〇〇円

前記入院期間中のものである。

(5) 靴修理代等 八三五〇円

本件事故により靴が破損したため、修理に右金額を要した。

(6) 入通院慰藉料 二一六万五〇〇〇円

原告は、本件事故による傷害により入通院したが、原告の受けた精神的苦痛を慰藉するためには右金額が相当である。

(7) 後遺障害慰藉料 三八〇万円

原告は、本件事故により前記後遺障害が残ったが、原告の受けた精神的苦痛を慰藉するためには右金額が相当である。

(8) 逸失利益 二〇七九万一〇八〇円

原告野々村の昭和六一年一月二八日までの逸失利益は、原告会社によつててん補されており、同月二九日以後の逸失利益が原告野々村の現に存在する逸失利益である。原告野々村の年収は一五〇〇万円であり、前記後遺障害により労働能力を二七パーセント喪失し、原告野々村の就労可能年数は六年であるから、年五分の割合による中間利息控除を新ホフマン式計算法で行い、逸失利益を次のとおりの計算式により二〇七九万一〇八〇円と算出した。原告野々村が原告会社から受領した金員は全額役員報酬として受領したもので、給与としては全く受領していない。しかし、原告野々村の原告会社に対する稼働寄与度からして、原告会社から実質的には全額を労働の対価として支給されているものである。

(計算式)

一五〇〇万円×〇・二七×五・一三三六=二〇七九万一〇八〇円

(9) 弁護士費用 二二〇万円

原告野々村は、被告らが右各損害を任意に支払わないため、原告ら代理人に対し、本件訴訟の提起及びその追行を依頼したが、弁護士費用としては、右金額が相当である。

小計 三〇九二万三六〇八円

(10) 損害のてん補

原告野々村は、被告らから一九一万四二三八円、自動車損害賠償責任保険から四〇三万円の支払を受けた。

合計 二四九七万九三七〇円

ただし、右のうち、逸失利益二〇七九万一〇八〇円については昭和六一年一月二九日から、その余の一〇一三万二五二八円から既払分五九四万四二三八円及び弁護士費用二二〇万円を控除した一九八万八二九〇円については昭和五五年六月二八日から、弁護士費用については昭和六一年二月五日から遅延損害金の請求をする。

(二) 原告会社

(1) 原告野々村は、次のとおりの割合でその労働能力を喪失し、原告会社における職務につき同割合により労務の提供ができなかつた。

ア 昭和五五年六月二八日から同年末まで

原告野々村は、本件事故後入院し、退院した後も昭和五五年中は全く出社することができなかつた。

一〇〇パーセント

イ 昭和五六年一月及び二月

原告野々村は、二本の松葉杖をつきながら月一、二回程度出社し、各二、三〇分の勤務をした。したがつて、その間の労務提供の程度は、通常のたかだか五パーセント程度である。

九五パーセント

ウ 昭和五六年三月

原告野々村は、二、三回出社し、勤務した。この月の労務提供の程度は通常のたかだか一〇パーセント程度である。

九〇パーセント

エ 昭和五六年四月から同年九月一六日まで

原告野々村は、四、五日に一度もしくは五、六日に一度出社し、勤務した。この間の労務提供の程度は通常のたかだか二五パーセント程度である。

七五パーセント

オ 昭和五六年九月一七日から昭和六〇年三月二六日まで

原告野々村は、念のため、昭和五七年三月まで連日の出社をしなかつた。

原告野々村は、昭和五七年四月以降、連日出社し勤務しているが、その勤務は、補佐役として、本件事故後新たに勤務するに至つた営業部次長及び総務部次長の助けを必要とする程度しかなしえなかつたのであり、その労務提供の程度は通常のたかだか八〇パーセント程度である。

したがつて、昭和五六年九月一七日から昭和五七年三月まで、原告野々村の労務提供は、現実にはたかだか通常の五〇パーセントであつたが、昭和五七年四月以降と同様通常の八〇パーセントは、提供可能であつたと見ることができるから、被告らにおいててん補すべき部分はその二〇パーセントの割合においてである。

二〇パーセント

カ 昭和六〇年三月二七日以降

原告野々村は、昭和六〇年三月二七日以降も連日出社し勤務しているが、前記後遺障害により、その労務提供の程度は通常のたかだか七三パーセント程度である。

二七パーセント

(2) 原告野々村が右各期間において全部もしくは一部その労務を提供できなかつたにもかかわらず、原告会社は、原告野々村に対し、従前の給与である年一五〇〇万円(各月一二五万円)支払つた。この対価なく原告会社が支払つた金額は、次のとおりである。原告野々村の原告会社に対する稼働寄与度からして、原告会社は、実質的には全額を労働対価として支給しているものである。

ア 昭和五五年六月二八日から同年末まで(一八七日間) 七六六万三九三四円

(計算式)一五〇〇万円÷三六六×一八七=七六六万三九三四円

イ 昭和五六年一月及び二月(五九日間) 二三〇万三四二四円

(計算式)一五〇〇万円÷三六五×五九×〇・九五=二三〇万三四二四円

ウ 昭和五六年三月(三一日間) 一一四万六五七五円

(計算式)一五〇〇万円÷三六五×三一×〇・九=一一四万六五七五円

エ 昭和五六年四月から同年九月一六日まで(一六九日間) 五二〇万八九〇四円

(計算式)一五〇〇万円÷三六五×一六九×〇・七五=五二〇万八九〇四円

オ 昭和五六年九月一七日から昭和六〇年三月二六日まで

昭和五六年分(一〇五日間) 八六万三〇一三円

(計算式)一五〇〇万円÷三六五×一〇五×〇・二=八六万三〇一三円

昭和五七年分 三〇〇万円

昭和五八年分 三〇〇万円

昭和五九年分 三〇〇万円

昭和六〇年分(八五日分) 六九万八六三〇円

(計算式)一五〇〇万円÷三六五×八五×〇・二=六九万八六三〇円

カ 昭和六〇年三月二七日以降

昭和六〇年分(二八〇日分) 三一〇万六八四九円

(計算式)一五〇〇万円÷三六五×二八〇×〇・二七=三一〇万六八四九円

昭和六一年分(二八日分) 三一万〇六八四円

(計算式)一五〇〇万円÷三六五×二八×〇・二七=三一万〇六八四円

キ 合計 三〇三〇万二〇一三円

(3) 原告野々村は、原告会社の総務部長及び営業部長を兼務するが、同人の原告会社から得る役員報酬名下の金員は、各月定額支給され、しかも原告会社を退社した後は支払われない性質を有するものとして支給されている。即ち、実質においては右金員は、原告会社の各決算期における利益の分配として原告野々村に与えられているものではなく、全額隔月の労務提供の対価として与えられているのである。また、原告野々村の原告会社に対する稼働寄与度からすれば、右金額はそれほど高額ということはできず、労務提供相当分である。

(4) 弁護士費用 三〇〇万円

原告会社は、被告らが右各損害を任意に支払わないため、右各損害の賠償請求をするため、原告ら代理人に対し、本件訴訟の提起及びその追行を依頼したが、弁護士費用としては、右金額が相当である。

合計 三三三〇万二〇一三円

ただし、弁護士費用を除く各金員については各末日からの遅延損害金、弁護士費用については昭和六一年二月五日から遅延損害金の請求をする。

よつて、被告ら各自に対し、原告野々村は、右損害金二四九七万九三七〇円及びうち二〇七九万一〇八〇円については本件事故の日の後である昭和六一年一月二九日から、うち一九八万八二九〇円については同じく昭和五五年六月二八日から、うち二二〇万円については同じく昭和六一年二月五日から、各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告会社は、同じく右損害金三三三〇万二〇一三円及びうち七六六万三九三四円については本件事故の日の後である昭和五六年一月一日から、うち二三〇万三四二四円については同じく同年三月一日から、うち一一四万六五七五円については同じく同年四月一日から、うち五二〇万八九〇四円については同じく同年一〇月一日から、うち八六万三〇一三円については同じく昭和五七年一月一日から、うち三〇〇万円については同じく昭和五八年一月一日から、うち三〇〇万円については同じく昭和五九年一月一日から、うち三〇〇万円については同じく昭和六〇年一月一日から、うち六九万八六三〇円については同じく同年四月一日から、うち三一〇万六八四九円については同じく昭和六一年一月一日から、うち三一万〇六八四円については同じく同年二月末日から、うち三〇〇万円については同じく昭和六一年二月五日から、各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(事故の発生)の事実は認める。

2  同2(責任原因)の事実中、被告会社が加害車の運行供用者であることは認め、被告廣瀬の過失は争う。

3  同3(原告野々村の受傷状況)の事実中、原告野々村は、本件事故により右大腿骨骨折の傷害を負い、五井病院に昭和五五年六月二七日から同月三〇日まで入院し、国立千葉病院に同日から同年九月一二日まで入院し、同月一三日から昭和五六年九月一六日まで通院し(実日数九日)、甘東治療院に昭和五五年一〇月一三日から昭和五六年九月二六日まで通院し(実日数八〇日)治療を受けたが完治せず、昭和六〇年三月二七日症状固定し、右下肢三センチメートル短縮の後遺障害が残り、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一〇級八号の認定を受けたことは認める。なお、原告野々村の受傷内容は、大腿骨頚部骨折で大腿骨骨折としては軽度のものに属し、観血的整復術等の手術をせず、直達牽引法により骨接合をしたものである。

股関節に機能障害を生じて、あぐら、正座、しやがみ込み等の動作が不可能となつたことは知らない。

右下肢全体に感覚異常をきたしたことは否認する。他覚的所見はない。

4  同4(損害)の事実中、原告野々村の損害のてん補は認め、その余は知らない。原告野々村の後遺障害は、右下肢が左下肢に比較して三センチメートル短縮したものである。右の短縮は、歩行に何ら障害となるものではなく、歩行時の外見上も健康体に比較して何ら異なるところはない。右の後遺障害を除くと、原告野々村は健康体であるから、原告野々村の労働能力の喪失はない。

三  抗弁

過失相殺

本件事故現場は、青柳方面から玉前方面に通じる車道幅員八・五メートルの歩車道の区別のある道路(以下「甲道路」という。)と、五井南海岸方面から五井大橋方面に通じる車道幅員六・六メートルの歩車道の区別のない道路(以下「乙道路」という。)の交差している交差点(以下「本件交差点」という。)内である。本件交差点は、信号機が設置されておらず、路面は本件事故当時は乾燥しており、平坦でアスファルト舗装がされており、非市街地で、指定最高速度の規制はなく、交通量は少ない。

加害車は、甲道路を青柳方面から玉前方面に走行し、被害車は、乙道路を五井南海岸方面から五井大橋方面に走行していたところ、本件交差点内のやや東よりの地点で加害車の左前部角と被害車の右前部角が衝突した。高野は被害車を運転していたが、同人は、本件交差点に進入するにあたつては、本件交差点の被害車の右側は見通しが悪いのであるから、減速ないし徐行すべき義務があるところ、これらの義務を怠つたので、同人には過失がある。高野は、原告会社の被用者で同人は同社の業務のために被害車を運転していた。原告野々村は、原告会社の代表取締役であるが、同社の業務のため高野に命じて被害車を運転させ、同車に同乗していたものである。

よつて、被告らは、原告らに対し、過失相殺の主張をする。

四  抗弁に対する認否争う。

本件交差点の指定最高速度は、前記のように時速四〇キロメートルであり、被告廣瀬は、加害車を運転して、本件交差点の手前の一時停止標識に気づかず、指定最高速度である時速四〇キロメートルをはるかに超える時速約七〇キロメートルの速度で本件交差点に進入した重大な過失があるのに対し、高野運転の被害車は、国道一四号線と五井市内を結ぶ主要道路を指定最高速度を下回る速度で進行していたのであつて、右両者の過失の程度を比較すると、原告らの請求につき過失相殺をすべきではない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがなく、同2(責任原因)の事実中、被告会社が加害車の運行供用者であることも当事者間に争いがない。そうすると、被告会社は、自賠法三条により本件事故によつて発生した損害を賠償すべき責任がある。

二そこで、被告廣瀬の責任について判断する。

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

本件事故現場は、青柳方面から玉前方面に通じる車道幅員八・七メートルの甲道路と、五井南海岸方面から五井大橋方面に通じる車道幅員六・六メートルの乙道路の交差している本件交差点内である。本件交差点は、信号機が設置されておらず、路面は本件事故当時は乾燥しており、平坦でアスファルト舗装がされており、非市街地で、指定最高速度の規制はなく、交通量は少ない。甲道路の青柳方面から玉前方面に通じる方向の本件交差点の手前左側には高さ三メートルのフェンスがあり、左方向の見通し(五井南海岸方面から五井大橋方面に通じる道路では、右方向の見通し)が悪く、また、一時停止の標識が設置されている。

加害車は、甲道路を青柳方面から玉前方面に走行し、被害車は、乙道路を五井南海岸方面から五井大橋方面に走行していたところ、加害車を運転していた被告廣瀬は、本件交差点手前の駐車車両に気を取られ、一時停止の標識を見落とし、左方向の見通しが悪いにもかかわらず、減速することなく時速六〇キロメートルの速度で本件交差点に進入しようとしたところ、同じく時速三〇キロメートルの速度で本件交差点に進入してきた被害車を交差点手前約二〇メートルの地点で発見し、急制動の措置を講じたが及ばず、交差点を約四メートル進入した地点で加害車の左前部角を被害車の右前部角に衝突させた。

以上の事実が認められ、右認定の事実に反する証拠はない。

右事実に徴すると、被告廣瀬には一時停止の標識を見落とし、本件交差点に減速することなく進入した過失があるから、被告廣瀬は、民法七〇九条により本件事故によつて発生した損害を賠償する責任がある。

三請求原因3(原告野々村の受傷状況)について判断する。

原告野々村は、本件事故により右大腿骨骨折の傷害を負い、五井病院に昭和五五年六月二七日から同月三〇日まで入院し、国立千葉病院に同日から同年九月一二日まで入院し、同月一三日から昭和五六年九月一六日まで通院し(実日数九日)、甘東治療院に昭和五五年一〇月一三日から昭和五六年九月二六日まで通院し(実日数八〇日)治療を受けたが完治せず、昭和六〇年三月二七日症状固定し、右下肢三センチメートル短縮の後遺障害が残り、自賠法施行令二条別表後遺障害別等級表一〇級八号該当の認定を受けたことは当事者間に争いがない。成立に争いのない甲一号証及び原告野々村本人兼代表者尋問の結果によれば、昭和五六年九月二七日にはほぼ症状固定したものの、股関節に機能障害が生じて、あぐら、正座、しやがみ込み等の動作が不可能となり、日常生活に支障が生じたことが認められる。

四原告らの損害について判断する。

1  原告野々村の損害

(一)  治療費 一〇七万六〇八〇円

〈証拠〉によれば、原告野々村は、前記治療のため右金額を要したことが認められる。

(二)  看護料 七二万五六一八円

家政婦 七二万二六一八円

近親者付添 三〇〇〇円

〈証拠〉によれば、原告野々村は、前記入院中右の付添を要したことが認められる。

(三)  寝具代 二万六四八〇円

〈証拠〉によれば、原告野々村は、前記入院中右の寝具代を要したことが認められる。

(四)  入院雑費 七万八〇〇〇円

〈証拠〉によれば、原告野々村は、前記入院中右の入院雑費を要したことが認められる。

(五)  靴修理代等 八三五〇円

〈証拠〉によれば、原告野々村は、本件事故により右の費用を要したことが認められる。

(六)  入通院慰藉料 一五〇万円

原告野々村は、本件事故による傷害により入通院したが、同原告の受けた精神的苦痛を慰藉するためには右金額が相当である。

(七)  後遺障害慰藉料 三四〇万円

原告野々村は、本件事故により前記後遺障害が残つたが、同原告の受けた精神的苦痛を慰藉するためには右金額が相当である。

小計 六八一万四五二八円

(八)  逸失利益 三〇四万六八七二円

前認定の事実、〈証拠〉に弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められる。

原告野々村の原告会社から受ける収入は、年一五〇〇万円であるが、右年収は、原告会社の代表取締役であることによる役員報酬である(その他に配当収入がある。)。原告会社は、本件事故当時資本金三〇〇〇万円、従業員四八人の食品卸を業とする会社であり、原告野々村は、原告会社の代表取締役兼総務部長であるものの、当時専務取締役兼営業部長が退社した直後であつたため、営業部長を兼任するようになつていたものであり、顧客の新規開拓の決裁、取引先からの仕入れの値引き交渉、人事、その他の職務も相当幅広く担当していた。特に、その原告会社における主要な仕入れ先の仕入れ額割引の交渉は、原告野々村自らが他の一名とともにおこなつてきた。

以上の事実が認められ、右認定の事実に反する証拠はない。

ところで、会社役員の報酬中には、役員として実際に稼働する対価としての実質をもつ部分と、そうでない利益配当等の実質をもつ部分とがあるとみるべきところ、そのうち後者については、傷害の結果役員を解任される等の事情がなく、その地位に留まるかぎり、原則として逸失利益の問題は発生しないものと解されるから、前者についてのみ逸失利益の判断をすればよいと解されるが、本件においては、原告野々村は、原告会社の従業員としても実質上稼働していたものであるから、その収入の名目を問わず実質に着目すると、この部分についても逸失利益を考慮する必要があり、以上の全ての面を勘案すると、原告野々村の収入のうち年九〇〇万円を本人の稼働による収入とするのが相当である。そして、原告野々村の症状固定日は、前記のように昭和六〇年三月二七日であり、前記後遺障害の部位と、原告野々村の職種、稼働状況を勘案すると、原告野々村は、そのうち前記後遺障害により労働能力を八パーセント喪失し、〈証拠〉によれば、原告野々村は大正六年三月一四日生まれであつて、症状固定日における年齢は満六九歳であるから、その就労可能年数は症状固定日である前同日から六年とするのが相当であり、年五分の割合による中間利息控除をライプニッツ式計算法で行うと、逸失利益は、次のとおりの計算式により三六五万四四三二円と算出される。

(計算式)

九〇〇万円×〇・〇八×五・〇七五六=三六五万四四三二円

そして、右金額のうち昭和六〇年三月二七日以降の分として、原告会社が負担した金額が後記のように六〇万七五六〇円であるから、この金額を控除すると、原告野々村の逸失利益の残金は、三〇四万六八七二円となる。

(九)  過失相殺

前記二に認定した事実によれば、高野は、被害車を運転していたが、同人は、本件交差点に進入するにあたつては、本件交差点の被害車の右方向は見通しが悪く、減速ないし徐行すべき義務があるところ、これらの義務を怠つたので、同人には過失があるというべきである。

両者の過失の程度を勘案するに、被告廣瀬が九、高野が一とするのが相当である(前掲甲三号証の四によれば、被告らもこの過失割合を認めているところである。)。

また、〈証拠〉によれば、高野は、原告会社の営業課長であり、同人は同社の業務のために被害車を運転していた。原告野々村は、原告会社の代表取締役であるが、同社の業務のため高野に命じて被害車を運転させ、同車に同乗していたものであることが認められ、右事実に徴すると、原告会社は勿論、原告代表者である原告野々村についても過失相殺をするのが相当である。

そこで、右金額から高野の過失として一割を減じると(前認定のように、高野は、原告会社の営業課長であり、同人は同社の業務のために被害車を運転しており、原告会社の代表取締役である原告野々村が、同社の業務のため高野に命じて被害車を運転させ、同車に同乗していたものであるから、原告野々村の関係でも過失相殺するのが相当である。)、逸失利益を除く損害については六一三万三〇七五円(円未満切捨て)、逸失利益については二七四万二一八四円(円未満切捨て)となる。

(一〇)  損害のてん補

原告野々村は、被告らから一九一万四二三八円、自動車損害賠償責任保険から四〇三万円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、原告野々村は、右金員を逸失利益を除くその余の損害に充当すると主張しているので、これを逸失利益を除くその余の損害から控除すると、逸失利益を除くその余の損害一八万八八三七円、逸失利益二七四万二一八四円となる。

小計 二九三万一〇二一円

(二) 弁護士費用 三〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告野々村は、被告らが任意に右損害の支払いをしないので、その賠償請求をするため、原告ら代理人に対し、本件訴訟の提起及びその追行を依頼したことが認められ、本件事案の内容、訴訟の経過及び請求認容額に照らせば、弁護士費用として被告らに損害賠償を求めうる額は、三〇万円が相当である。

合計 三二三万一〇二一円

なお、原告野々村は、右のうち逸失利益二七四万二一八四円については昭和六〇年一月二九日から、弁護士費用を除くその余の損害一八万八八三七円については昭和五五年六月二八日から、弁護士費用三〇万円については、昭和六一年二月五日から遅延損害金の請求をしているが、原告野々村の受領した前示の金員については、原告野々村の自陳のとおり充当することにする。

2  原告会社の損害

(一)  前認定の事実、〈証拠〉を総合すると、原告野々村は、次のとおりの割合でその労働能力を喪失したので、原告会社における職務につき同割合により労務の提供ができなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(1) 昭和五五年六月二八日から同年末まで

原告野々村は、本件事故後入院し、退院した後も昭和五五年中は全く出社することができなかつたことが認められる。

一〇〇パーセント

(2) 昭和五六年一月及び二月

原告野々村は、松葉杖をつきながら月一、二回程度出社し、各二、三〇分の勤務をした。したがつて、その間の労務提供の程度は、通常の五パーセント程度であると認められる。

九五パーセント

(3) 昭和五六年三月

原告野々村は、二、三回出社し、勤務した。この月の労務提供の程度は通常の一〇パーセント程度であると認められる。

九〇パーセント

(4) 昭和五六年四月から同年九月一六日まで

原告野々村は、四、五日に一度もしくは五、六日に一度出社し、勤務した。この間の労務提供の程度は通常の二五パーセント程度であると認められる。

七五パーセント

(5) 昭和五六年九月一七日から昭和六〇年三月二六日まで

原告野々村は、昭和五七年三月まで連日の出社をしなかつた。そして、原告野々村は、昭和五七年四月以降、連日出社し勤務しているが、その勤務は、前記のように、その職種等からみて、その労務提供の程度は通常の九二パーセント程度であると認められる。また、昭和五六年九月一七日から昭和五七年三月まで、原告野々村の労務提供は、昭和五七年四月以降と同様通常の九二パーセントは、提供可能であつたと見ることができるから、被告らにおいててん補すべき部分はその八パーセントの割合においてである。

八パーセント

(6) 昭和六〇年三月二七日以降

原告野々村は、昭和六〇年三月二七日以降も連日出社し勤務しているが、前記後遺障害により、その労務提供の程度は通常の九二パーセント程度であると認められる。

八パーセント

(二)  しかしながら、〈証拠〉を総合すると、以下の事実が認められ、右認定の事実を覆すに足りる証拠はない。

原告会社は、原告野々村が右各期間において全部もしくは一部その労務を提供できなかつたにもかかわらず、原告野々村に対し、従前の役員報酬である年一五〇〇万円(各月一二五万円)を支払うことを原告野々村本人及びその家族が事故前と同様な生活状態を維持・継続するため、余儀なくされたことが認められるが、前記のように、そのうち九〇〇万円が稼働に対する対価の部分であるから、原告会社が原告野々村から労務の提供を受けないのに稼働に対する対価として支払うことを余儀なくされた金額は、次のとおりであると認められる。

(1) 昭和五五年六月二八日から同年末まで(一八七日間) 四五九万八三六〇円

(計算式)九〇〇万円÷三六六×一八七=四五九万八三六〇円(円未満切捨て)

(2) 昭和五六年一月及び二月(五九日間) 一三八万二〇五四円

(計算式)九〇〇万円÷三六五×五九×〇・九五=一三八万二〇五四円(円未満切捨て)

(3) 昭和五六年三月(三一日間) 六八万七九四五円

(計算式)九〇〇万円÷三六五×三一×〇・九=六八万七九四五円(円未満切捨て)

(4) 昭和五六年四月から同年九月一六日まで(一六九日間) 三一二万五三四二円

(計算式)九〇〇万円÷三六五×一六九×〇・七五=三一二万五三四二円(円未満切捨て)

(5) 昭和五六年九月一七日から昭和六〇年三月二六日まで

昭和五六年分(一〇五日間) 二〇万七一二三円

(計算式)九〇〇万円÷三六五×一〇五×〇・〇八=二〇万七一二三円(円未満切捨て)

昭和五七年分 七二万円

昭和五八年分 七二万円

昭和五九年分 七二万円

昭和六〇年分(八五日分) 一六万七六七一円

(計算式)九〇〇万円÷三六五×八五×〇・〇八=一六万七六七一円(円未満切捨て)

(6) 昭和六〇年三月二七日以降

昭和六〇年分(二八〇日分) 五五万二三二八円

(計算式)九〇〇万円÷三六五×二八〇×〇・〇八=五五万二三二八円(円未満切捨て)

昭和六一年分(二八日分) 五万五二三二円

(計算式)九〇〇万円÷三六五×二八×〇・〇八=五万五二三二円(円未満切捨て)

ところで、原告会社は、原告野々村から労務の提供を受けないにもかかわらず、前記のように原告野々村に対し従前の役員報酬を支払つてきたが、それは原告野々村及びその家族が事故前と同様な生活状態を維持・継続するため出捐を余儀なくされたことによるものであるから、右出捐は原告会社にとつて明らかに損害というべく、しかもかかる事実関係のもとにおいては、被告廣瀬の原告野々村に対する加害行為と同原告の受傷に起因する原告会社の右出捐による損害との間に相当因果関係の存することを認めるのが相当であるから、損害を公平に分担させるという損害賠償法の根本理念の要請に鑑み、原告会社は、被告らに対し、右損害の賠償を請求することができるものと解するのが相当である。

(三)  過失相殺

前認定のように、高野は、原告会社の営業課長であり、同人は同社の業務のために被害車を運転しており、原告会社の代表取締役である原告野々村が、同社の業務のため高野に命じて被害車を運転させ、同車に同乗していたものであるから、原告会社の関係でも過失相殺するのが相当であるから、右金額から高野の過失として一割を減じると、その残額は以下のとおりである。

(1) 昭和五五年六月二八日から同年末まで(一八七日間) 四一三万八五二四円

(2) 昭和五六年一月及び二月(五九日間) 一二四万三八四八円(円未満切捨て)

(3) 昭和五六年三月(三一日間) 六一万九一五〇円(円未満切捨て)

(4) 昭和五六年四月から同年九月一六日まで(一六九日間) 二八一万二八〇七円(円未満切捨て)

(5) 昭和五六年九月一七日から昭和六〇年三月二六日まで

昭和五六年分(一〇五日間) 一八万六四一〇円(円未満切捨て)

昭和五七年分 六四万八〇〇〇円

昭和五八年分 六四万八〇〇〇円

昭和五九年分 六四万八〇〇〇円

昭和六〇年分(八五日分) 一五万〇九〇三円(円未満切捨て)

(6) 昭和六〇年三月二七日以降

昭和六〇年分(二八〇日分) 四九万七〇九五円(円未満切捨て)

昭和六一年分(二八日分) 四万九七〇八円(円未満切捨て)

小計 一一六四万二四四五円

(四)  弁護士費用 一二〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告会社は、被告らが任意に右損害の支払いをしないので、その賠償請求をするため、原告ら代理人に対し、本件訴訟の提起及びその追行を依頼したことが認められ、本件事案の内容、訴訟の経過及び請求認容額に照らせば、弁護士費用として被告らに損害賠償を求めうる額は、一二〇万円が相当である。

合計 一二八四万二四四五円

なお、原告会社は、右のうち弁護士費用を除く各金員については各末日からの遅延損害金、弁護士費用については昭和六一年二月五日から遅延損害金の請求をしているので、右請求部分を正当として認容する。

五以上のとおり、被告ら各自に対する、原告野々村の本訴請求は、右損害金三二三万一〇二一円及びうち二七四万二一八四円については本件事故の日の後である昭和六一年一月二九日から、うち一八万八八三七円については同じく昭和五五年六月二八日から、うち三〇万円については同じく昭和六一年二月五日から、各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、原告会社の本訴請求は、右損害金一二八四万二四四五円及びうち四一三万八五二四円について本件事故の日の後である昭和五六年一月一日から、うち一二四万三八四八円については同じく同年三月一日から、うち六一万九一五〇円については同じく同年四月一日から、うち二八一万二八〇七円については同じく同年一〇月一日から、うち一八万六四一〇円については同じく昭和五七年一月一日から、うち六四万八〇〇〇円については同じく昭和五八年一月一日から、うち六四万八〇〇〇円については同じく昭和五九年一月一日から、うち六四万八〇〇〇円については同じく昭和六〇年一月一日から、うち一五万〇九〇三円については同じく同年四月一日から、うち四九万七〇九五円については同じく昭和六一年一月一日から、うち四万九七〇八円については同じく同年二月末日から、うち一二〇万円については同じく同年二月五日から、各支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行宣言については同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官塩崎 勤 裁判官福岡右武 裁判官宮川博史)

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